見えない構造を視覚化する
Text:Yumi Goto(Co-founder, Reminders Photography Stronghold / Independent Curator)
テキスト:後藤 由美(Reminders Photography Stronghold 共同創設者 / インディペンデントキュレーター)
リチャード・モスという写真家のことを知ったのは彼の「Infra」が出始めた頃。いま、改めて彼のサイトで公開されている2004年頃からの作品とその変遷を見ていると、向き合ってきた対象について、いかにすれば最適な形でストーリーを伝えてみせることが出来るか苦心しながらキャリアを積んできたということが目に見えてわかる。ドキュメンタリー写真家たちはキャリアを積むごとに自身の写真表現や質そのものにたいする追求をしていくか、またはストーリーそのものを追い求め、いかにその複雑な構造を視覚化出来るかを考え、そちらの方に重心を置いて「物語」を表現することを追求していくかにわかれていくように思う。
写真表現だけに固執し傾いていくのはある意味危険だと常々思っていて、例えば紛争や迫害、災害など、人の尊厳を脅かす存在を対象としているのにそれが「作品」となってしまう場合だ。東日本大震災のときでも被災地の写真を撮って、ソーシャルメディア上で「自分が撮ったモノクロの写真です」という写真家のコメントとともに写真がタイムラインにあがってきては、それについて「Like」がついていたり「素晴らしい」などのレスポンスがついていると憤りを覚えたことがある。自分の作品の評価を得ることが優先されていて、そこにいる人々や物語は実は二の次になっていると感じることがあったりした。
一方、「自分の作品」として表現をたかめるのではなく「ストーリーを伝える」ことを優先する場合、自分がこれまで撮ってきた写真だけでは伝えきれないという限界を必ず感じるはずだ。そして自分が写真家として追いかけている対象に、どうすれば受け手を近づけることが出来るか考え抜いた結果に辿り着く「表現」があるのだ。リチャード・モスの場合は後者で、物語を伝える側の表現者であると思う。とくに彼のその視覚的取り組みに大きな変化が生じたと目に見えてわかるのが先述のコンゴ内戦を対象にした「Infra」だ。
『INFRA』(APERTURE, 2012年)より
長年続いたコンゴの内戦は多くの写真家たちによって取材撮影され、多くは消費され一瞬の注意喚起には繋がっても、そのほとんどが記憶に残ることすらない。彼の「Infra」はそういう意味で、長く続いた世界からも見放され複雑で手に負えない内戦を彼なりの視点で、解釈でどう見せるかということを考えぬいた結果に現れた表現方法である。それは対象を色物で見るというような類のものではなく、対象を受け手に届けるためには何をすべきか考え抜いた結果であるといえる。リサーチを続けた結果「Infra」、実際にはその前の「come out」頃にたどり着いたのは赤外線フィルムを使うことだった。それは写真的表現における興味だけがそうさせたのではない。彼が使用した赤外線フィルムは軍が探索技術においてカモフラージュを探知するという本来の目的のために開発された。このフィルムがどのように誕生し使われたのかという歴史に遡り、これこそが「人の目からは見えない存在」と化したコンゴの内戦を「視覚化」するのにふさわしいと、この表現方法を選択したのだ。
『INFRA』(APERTURE, 2012年)より
一見して理解することが不可能だが必要とされる多重なレイヤーを用いた表現手段を一旦心得ると、撮影する対象のみならず、それを取り巻くすべてにリサーチがおよび、その中から物事や対象の構造を視覚化するための最適な手段を発見することがある。それこそが重要で、その発見を成し得た者だけが唯一無二の表現を獲得することが出来るのである。
彼のようにフィルムやカメラという比較的写真表現と繋がりのある媒体がその手段である場合もあれば、多重の情報や素材等を収集しレイヤーとして物語の中に落とし込んでいくということもある。現場にいて、目の前で起きている出来事をそのまま撮るという以上に「物語」を伝えるためには必要不可欠なのである。そこまで意識がおよばない場合、表層的なことしかとらえられていないため、その物事自体の構造を理解するためのレイヤーは存在せず、私たち受け手側が深く思考する機会も与えられない。彼がなぜ高く評価されているのか、それは単に美しい、新しい表現を提示したというだけではないことを忘れてはいけないのだ。なぜ、それをしなければならなかったのか、歴史的な構造と目に見えないものを視覚化するにはいかなる方法があるか、常識にとらわれることなく、「これこそが」という答えにたどり着いた。そこに至るまでの尽力と決断力は計り知れないのである。そして、一度独自の表現方法を獲得すると、それは次々と活かされていく。彼がこれまでテーマにしている人本主義に関わるさまざまな問題を、彼の世界観で次はいかなる形で見せてくれるのかという期待が高まるのだ。そして対象そのものだけでなく、彼が選択した伝える手段を知ることが出来たとき、それこそがその物事の本質を知るための大きな手がかりであるとすら感じるのである。
そしてそもそも本題の『Incoming』は撮影監督トレヴァー・トゥウィーテンと作曲家ベン・フロストとのコラボレーションによって映像作品として制作され、本書はその映像作品のスチール写真を収録したものになる。彼が表現手段に取り上げたのは赤外線サーマルカメラ。この超望遠軍事用カメラは、昼夜を問わず30.3km先に離れたところにいる人体をも感知することができる。映像作品はロンドンのバービカンアートギャラリーでいまも開催中のインスタレーションだが、展示の様子を伝えるニュース動画を見るだけでもその圧倒的な世界観には鳥肌が立つ。
本が刊行されて話題になり、それを見てみたいと思ったのだが、本が届いてまずはその無機質な質感にページを開きながら戸惑った。現地にいて映像を見て「この本も手に入れておこう」というのとは違う感覚なのだと思う。映像作品からスチール写真を落とし込んだ本であっても、映像作品と同じような感覚を得ようとするのは無理である。あの映像空間に身を置かなければ不可能なはずなのである。そして「このカメラは、ある種の美学的暴力として作用しており、主体の人間性を奪い、人々を怪物的なものとしてゾンビ化した形象に落とし込む上、身体から個別性を奪い、単なる生物学的な痕跡として人間をとらえている」と彼がいっているように、不穏な違和感を感じることが正解なのだ。
ただし、「伝え残す」ための記録の形として、最新型兵器レベルの撮影技術を用いて映像化し歴史的な証拠として残す新しい記録の形を切り開いた、記録者として物語を伝える者として歴史の記録を残すために選んだひとつの手段こそがまた意味のあるものだった。改めてそう思いながら見ていくと、本誌に収められた576ページにおよぶ映像から切り取られた黒とシルバーの無機質で凍りついた世界観は、私たちが存在するこの世界の現実を遠い未来に向けて凍結保存するかのようにも見えてくる。そして見ているだけで何も出来ないという、対峙している自分自身こそが血の通っていない、存在するに値しない人間ではないのかと問いかけられているようにすら思えてくるのだ。
最後に同じ手法で制作された「Heat Maps」を出来れば写真集として見てみたい。
INCOMING
作家|リチャード・モス(Richard Mosse)
仕様|ソフトカバー
ページ|576ページ
サイズ|175 x 197 mm
出版社|MACK
発行年|2017年
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リチャード・モス(Richard Mosse)
1980年、アイルランド生まれ。第55回ベニス・ビエンナーレでアイルランド代表として「The Enclave」を出展し、同作でドイツ証券取引所写真賞(2014)を受賞。グッゲンハイム・フェローシップや、ジャーナリズムの分野でピューリッツアー・センターから危機報道出版助成金などこれまで多くの助成を得て数々の作品を制作。「Incoming」の映像作品と関連する一連の作品は、「Heat Maps」というタイトルで2017年のPrix Pictet賞に最終ノミネートされている。これまでにルイジアナ近代美術館、ナシャー美術館、マサチューセッツ工科大学(MIT)、シカゴ現代美術館(MCA)、コロンビア・カレッジ・シカゴ現代写真美術館(MoCP)、モントリオール美術館、アイルランド現代美術館、ポートランド美術館、ミュンヘン美術館、ネルソン・アトキンス美術館、ストロッツィ宮美術館、レイキャビク美術館、バス美術館、ケンパー美術館、FOAM、The Photographers’ Gallery、ベルリン芸術アカデミー、ビクトリア国立美術館、ニューサウスウェールズ大学など世界中で展覧会が開催されている。ニューヨーク在住。
後藤由美(Yumi Goto)
Reminders Photography Stronghold 共同創設者、インディペンデントキュレーター。プロジェクトプロデュース、キュレーション、フォトエディッティング、リサーチ、出版など、写真に関する総合的なコンサルティングや教育プログラムに力を入れている。また、国際的な写真賞の審査、フォトフェスティバル、イベントのノミネーション、キュレーション及びプロデュースなどに多数関わる。