PROVISIONAL ARRANGEMENT by Martin Kollar
美術批評家のニコラ・ブリオーは、考えがあてもなく散在する社会を予見しながら「我々は文化という枠を間借りしているにすぎない」と説いた。フォトグラファー、ビデオグラファーのマーティン・コラー(Martin Kollar)は、「ソ連よ永遠に」というモットーのもと、共産主義時代のチェコスロバキア(現スロバキア)に生まれ育ち、その信条が永遠に続くものと信じていた。堅く信じ続けてきた信条が葬り去られた結果、人々はその喪失感に対峙することを余儀なくされた。作者のこれまでの作品は、プロジェクトごとに特定の土地や空間に年月を費やし、多方面からその土地を観察するというものであった。しかし今、作家がとらわれているのは、永遠とみなされてきたものが潰え、仕事や友人、恋人、住居といったあらゆるものが、その場しのぎの間に合わせで済まされているという状況である。本作はこれまでの姿勢から一転し、ロードムービーの精神に着想を得ながら、歴史的、地理的な制約を超越して、間に合わせのものがひしめく場所を求めて当て所なくさまよい続けた作者が出会った37の場面を映した写真から構成される。若手作家への資本支援とキュレーショナルな指導の提供を目的としたプリ・エリゼ賞の第1回目のグランプリ受賞に伴い発行。
レビュー:菊田 樹子(インディペンデント・キュレーター)
Winner of the 2016 Prix Elysée, Martin Kollar’s new work, Provisional Arrangement, considers that which is temporary in a world made up of provisional situations and solutions. "We are tenants of culture", wrote Nicolas Bourriaud, foreseeing a world of precarious inhabitation of ideas. “I grew up in Czechoslovakia during the Communist era,” says Kollar, “and with the motto, with the Soviet Union for all Eternity – which has been one of my few experiences with eternity... People of my generation fight against the void left behind the abandoned dogmas.” It is this world that Kollar turns to, one of aborted eternities and slackened certainties – to situations which reveal the disintegra-tion of permanences, capturing their fall into the provisional.
REVIEW:PROVISIONAL ARRANGEMENT by Mikiko Kikuta(Independent Curator)