REVIEW:PROVISIONAL ARRANGEMENT by Mikiko Kikuta(Independent Curator)




Text:Mikiko Kikuta(Independent Curator)
テキスト:菊田 樹子(インディペンデント・キュレーター)

『Provisional Arrangement』は、スロバキア出身の写真家、マーティン・コラーによる6冊目の写真集である。コラーは、2014年にエリゼ美術館(スイス)が世界有数の時計メーカー、Parmigiani Fleurierと共同主催でスタートした「Prix Elysée(エリゼ賞)」の第1回目の受賞者となり、その副賞としてこの写真集がイギリスの出版社「MACK」より出版された(ちなみに副賞のもう1つは、エリゼ美術館での個展である)。

コラーは、東欧、そして一部の写真関係者の間では評価も人気も高い写真家だったが、その名が広く知られるようになったのは2013年に「MACK」から発行となった『Field Trip』である。12名の写真家の目を通してパレスチナ自治区の現在をとらえる「This Place」というプロジェクトの成果をまとめた写真集で、ジェフ・ウォール、ジョセフ・クーデルカ、トーマス・シュトゥルート、スティーブン・ショアなど錚々たるビッグネームの中でコラーの作品はひときわ異彩を放っていた。

※12名の写真家それぞれの写真集の他に、全作家の作品をまとめたカタログ『This Place Catalogue』も「MACK」より刊行されている。




Field Trip』がコラーの出世作であり、代表作であることは間違いないが、『Provisional Arrangement』は、彼がストーリーテラーとしてまた新たなステップに進んだことを示す1冊に仕上がっている。「一時しのぎ」というこの本のタイトルは、旧チェコスロバキアで生まれ、「ソ連よ、永遠なれ」というスローガンのもとに育ったコラーのバックグラウンドに関係がある。「一時しのぎ」は、国が二つに分かれ、民主化を辿る過程で刻まれた「永遠であるものなどない」という経験から得たひとつの「術」であり、「智慧」だった。しかし、それは気がつけばいつの間にか世界に蔓延している。一生の仕事に出会えなくても当面の間稼げればよいし、歳を重ねても使えるスーツを1枚仕立てるよりも安価で多くの服を手にいれたい。関係性を構築して得る人生の伴侶ではなく今を楽しく過ごせる恋人を——つまりは、その場をしのげればよいのである。コラーはこの写真集で、すでに恒常化しているこうした現象を淡々と紡ぎ、その次に待ち受ける思考停止の世界もまた予兆している。





端的には現代社会を浮き彫りにする仕事と言えるが、既存のドキュメンタリーの手法は用いていない。例えば、その日暮らしを謳歌する若者を追うという形とはむしろ対極と言える。そこで何が起きているのか、さらにはなぜ撮ったのかを把握できないような写真がひたすら展開されているのだ。撮影年や場所の表記もない。それでも退屈するばかりか次へと頁を捲ってしまうのが、コラーの語りの力である。そもそも、彼の写真集にはミステリー(またはホラー)映画とコメディ映画のトレイラーをミックスしたような魅力がある。「誰かが刺される、その1秒前」のような緊張感漲る場面と、のどかでユーモラスな場面が繰り返され、落語で言う「緊張と緩和」を想起させる。しかし、トレイラーなので決定的なことは起こらないし、落語ではないのでオチもない。今作も、この手法自体に大きな変化はない。映画製作で培ってきたシークエンスの妙も相変わらずの切れ味である。しかし、以前は多用した時間の流れを示す2枚組の写真は排除され、不条理さが強調された笑いを誘う場面も被写体のインパクトが強い写真も明らかに減少した。コラーは、今回の写真集で、説明的ではないより純度の高いイメージ、シークエンスが生む視覚と心理的作用、そして余白の力を最大限に利用することで、さらに大きな物語に挑み始めたように見える。「緊張と緩和」は「笑いの」だけではなく、「語りの」法則でもある。瞬発的な笑いを狙わずに、人の心に深く染み込み何度でも聞きたいと思わせるストーリーテリングへ。コラーは、この写真集のタイトルとは逆に普遍的な場所へと向かい始めたようだ。





PROVISIONAL ARRANGEMENT
作家|マーティン・コラー(Martin Kollar)
仕様|ハードカバー
ページ|72ページ
サイズ|200 x 255 mm
出版社|MACK
発行年|2016年

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